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捨てる神あれば拾う神あり

【派遣切り】

テレビのニュースの世界だと思っていました。

 

以前から興味のある業界に仕事が決まり

これからという時に派遣会社から更新出来ないと説明されました。

 

連絡が来た時に、もしかしたらと勘が働き

半ば覚悟はしていましたが、それが外れてくれたらと思う願いも空しく

年末目前に更新出来ない状況になってしまいました。

 

理由は会社の業績不振です。

面接の時は、業界初の試みをしている。

これからとても忙しくなると説明されて

とても楽しみに仕事に励んでいたのですが、

状況はそれどころではないようでした。

 

朝礼時に上司の言葉から果たしてこれから大丈夫だろうかと

半ば気にもしていたのですが、ここまでとは、、、、、

 

テレビのニュースで見ていた【派遣切り】とは

こういうことかと身をもって体験しました。

 

派遣の辛さですね。

 

しかし、めげても居られず仕事探しをしなくては

そんな時に

『捨てる神あれば拾う神あり』です。

友人の紹介で仕事が決まりました。

こちらもまた興味のある内容で

『人生捨てたもんじゃない』

なんて思います。

 

無職で年を越せるのだろうかと不安にもなりましたが、

無事に年を越せそうです。

友人には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

 

気持ちの整理

父の四十九日法要が無事に終わった。

生前お世話になっていた方に

気持ちの中で心残りなことがあったので

四十九日法要が終わったら挨拶しようと決めていた。

 

挨拶に伺ってお会いすることができて

お礼と感謝の気持ちを伝えられた方には

心置きなく帰ることができた。

 

ご不在の方には玄関先にメモを入れて

お礼の届け物を置いてきた。

とても気になるので帰宅してから

電話して改めてお礼と感謝の気持ちを伝えた。

 

もう一方、薬局の薬剤師の先生に

ずっと連絡したくても出来ずにいて

会いに行くのも辛すぎて行かれずにいた。

 

亡くなった連絡は弟の嫁から入るだろうと思っていたのと

行って会うことで、父とのことを思い出し

私の気持ちが辛くなることがシンドクて行かれなかった。

 

行くのはつらいけど、電話してお礼と感謝の気持ちだけ伝えようと決めて

思い切って電話した。

亡くなったことを話した時に、やはり嫁から聞いていたのだなと感じて聞いたら

先生のところへ挨拶に来てくれたと言っていた。

 

そうなのよね。すべてやるから私には出てくるなと言っていたしね。

 

薬剤師の先生に電話だけでも架けて良かったと思った。

ずっと気になっていたこと、でも出来なかったこと。

四十九日法要が終わってからにしようと決めていたこと。

話して気持ちも軽くなった。

 

ここからまた新しく私の人生がスタートする。

 

毎日父のことを思うたびに涙して

もっとなにかしてあげらたのではないかと自分を責めたり

ただただ泣いてばかりいたりしたけど

 

父は早く母のところに逝きたかった

けれど、嫁よりも長生きしたかった

気持ちはいつも揺れていた

 

私も同じで

嫁と付き合いたくない

けれど父には長生きしてほしい

父が亡くなったら付き合わない

父にはそう伝えていた

 

早く付き合いをやめたいけど

それは父が亡くなるということ

気持ちはいつも揺れていた

 

思うよりも早く父は母の元へ逝ってしまった

 

病床で沢山頑張った父

沢山沢山頑張った父

四十九日法要も無事に終わり

安らかに眠れるだろう

 

 

 

 

 

お父さん

ありがとう

これからは天から見守っていてね

 

そして

お母さんと仲良くね

 

 

 

 

 

 

窓ふき

巷では3連休

朝からはっきりしない天気だった連休最終日

特別用事もなくてだらだら過ごす

なんだかもったいない気持ちになって

急遽思いついたこと

窓ふき

 

以前何かで読んだことあって

窓ふきは雨の日がいいって

 

初めて雨の日にしてみた

すごくきれいになって満足

 

雨だから埃も舞い上がらないし

ホントに雨の日の窓ふきはいい

 

ついでに日よけのカーテンも洗濯

窓とカーテンがきれいになって

気分も爽快

黄斑前膜

ドライアイの持病があるので定期的に眼科へ通院している。

そろそろ定期健診の予定でいたが、最近それ以外に左目に違和感を覚え、

もしかしたら白内障かも?と思っていた。

なぜなら以前の定期健診時に『白内障の懸念あり』と言われたことがあったから。

 

いつも通りの検査を終えてから、眼球の検査をした。

結果は『黄斑前膜』と説明された。

聞きなれない病名である。

原因は加齢によるもの。

パソコンもかなり使っているので、そのせいもあるかしら?

と思って医師に聞いたら、それは全く関係なく、ただ加齢によるものだと

少し笑って話された。

 

酷くなると手術が必要になり、手術をすれば治るらしいが、白内障の手術よりも

大変な手術らしい。

今はまだ手術するほどのことではないらしく、2ヶ月に1回くらいの通院で

今後の様子を診て行くことになった。手術となれば大きな病院を紹介するから

心配しなくても大丈夫と。

手術して完治するならば、せっせとしていまいたいと思って色々聞いていたら、

今の状態ではまだ手術しなくて良いと判断されるらしく症状が悪化してからになると。

 

そんな悪化してからで大丈夫なのか余計に心配になり、あれこれ聞いてみると、

今はまだ視力もそれほど悪くなっていないのと、物が歪んで見えることもないため、

心配はいらないと。

 

視力検査はあまりよく見えていなくてもなんとなく分かる感じで答えているわけで、

遠くは見えないし、近くても見えにくいこともあるのに大丈夫なのかなぁ。

心配なことはあるけど、結局2ヶ月に1回の通院をすることで本日の診察は終わった。

 

先月は子宮がんの検査をして、異常なしで安心したばかりなのに、

年をとるとはこういうことなのね。

老化していくことは否めないことだけど、気持ちは若いつもりでいるし、

見た目もまだ年齢よりは若く見られていて、まだまだ大丈夫なんて思っていたのに。

 

手術はまだしなくても大丈夫らしいけど、やはり見づらさはあるし、

鬱陶しい感じもある。

それでも2ヶ月後の検査を待つことになるのね。

 

 

 

父との別れ

父が他界した。

子供の頃からどちらかと言うと母よりも父と仲良くて、

母には言えないことでも、父にはなんでも話してきた。

 

今年になって会社を辞めて次のことを考えていた矢先に

父の世話をすることになり、父のところへ毎日通う日々を送っていた。

介護というほど壮絶なことなどなくて、

日々父と過ごす時間は大変楽しいものだった。

 

しかし、半年くらい経ってくると、父も私もそれなりのストレスが出てきた。

父は病気のことでイラついたりしていたのだと今になると理解出来るのだが、

その頃はそんなことには気づかず、一緒に居る時間が長くなると、

親子であってもストレスが出てくるのだと勝手に思っていた。

 

私は私で、この状態がいつまで続くのだろうと少し暗い気持ちになることもあり、

仕事を探さなければならないという焦りと、その逆に全く暢気だったり。

自分が何をどうしていけばいいのか全く考えられない状態になっていた。

 

そんな時に父が緊急入院することになる。

朝父の状態が思わしくなく救急車を呼んで病院へ。

この時は一週間ほどで退院できた。

 

しかし、退院してからまもなくまた緊急入院。

朝父のところへ行くと、息が出来なくて苦しいと言う。

すぐに救急車を呼んで病院へ。

 

緊急病棟に10日間。

医師に退院の日程について聞いてもあいまいな回答ばかり。

病状は良くなってはいると説明されても父はとても苦しそうで、

本当のところは良くなってなんかいないのでは?と疑うことも。

 

ある日、医師から呼ばれて別室へ。

医師の説明は回復の見込み薄く退院は難しいと。

一般病棟へ移動し、緩和治療として見守っていくことになった。

 

そして、それから20日後に帰らぬ人になった。

 

 

もっと優しくしてあげられたのではないかと後悔したり、

だけど、沢山おしゃべりして楽しかったよねと父に問いかけるように

自分に言い聞かせたり。

 

毎日一緒に居てストレスだなんて思わないで、

もっともっと一緒の時間を過ごしていたら良かったと

後悔ばかりして泣いてしまったり。

 

 

お父さん子であっても、べったりな親子関係ではなかった。

いつも冷静な父が好きで、感情的な母を見てきて、

私は父のようにいつも冷静さを持った大人になりたいと思っていた。

その気持ちはずっと持ち続けていて、冷静な大人として社会人をしてきた。

 

それでも時には感情的に父と喧嘩したりもした。

あんなに冷静な父がこんな感情的になることもあるのだと驚いたこともある。

今思うと、病気と闘いながら体が思うようにならないイラつきからだったのだろう。

そんなことも思いやることが出来ない娘だった。

 

もうほとんど言葉を発することが出来なくなってきていたのに

私が父に「もっと早く病院に来ればよかったね。ごめんね。」と言ったとき

父は「いいよ」とひとこと言葉にした。

その目はとても優しくて、私を思いやる優しい顔をしていた。

 

亡くなる前日も朝と夕方にいつも通り病院に会いに行って、

夕方は娘も仕事帰りに来てくれた。

 

娘は夏季休暇で北海道へ旅行が決まっていた。

父がとても苦しそうになってからは

毎日、父の耳元で北海道から帰ってくるまで頑張ってね。

なんて声かけて、まだまだ逝っちゃダメだよと。

 

その時の父は少し笑顔になり目をぱちぱちさせてうなづいていた。

 

その旅行から帰って来ての見舞いだった。

父は孫の顔を見てきっと安心したのだろう。

その日の深夜に息を引き取った。

 

毎日「ひとりで逝っちゃダメだからね」と言っていたのに、

父はひとりで静かに逝ってしまった。

 

看護師さんから連絡もらってすぐに病院へ行くと、

連絡してから10分後くらいに息を引き取ったと説明された。

苦しまずにそっと息を引き取ったと。

 

「ひとりで逝っちゃダメだよって言ってたのに」と悲しむ私に息子が

「じいちゃんは誰にも死ぬところを見せたくなかったんだね」と。

 

確かに息子の言う通りかもしれない。

父は苦しい顔をするときに私に向かって首を横に振っていたことがある。

それは、こんな状態のところを見ないでくれと言う合図だったのかもしれないと。

そんなこと気づかない私は「苦しいの?」なんて話しかけたりもしていた。

 

 

父は母のことが大好きだった。

昨年母が亡くなり、父は毎日母の仏壇に話しかけていると言っていた。

父は母を追うようにして逝ってしまった。

 

きっと天国でまた、ふたりであーでもないこーでもないと

沢山口喧嘩しながら、それでも母のことが大好きで

きっと笑っているだろう。

 

 

 

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父は最初に肝臓がんになり、手術をして完治したが再発していた。

 今年になって喉頭がんの診断を受け、手術することも検討したが、

肝臓がんの手術後の経過回復が遅く、歩けるようになるまで大変だったこと、

軽い認知症を発症していること、肝臓がんの再発していることもあり、

喉頭がんは手術せず、抗がん剤治療を行っていた。

二度目の入院の際の診断で誤嚥性肺炎と診断されての緊急入院だった。

認知症については、本当に軽く薬の効果もあり普段認知症の症状はなかった。

 

 

 

父はとても優しいきれいな顔で眠っていた。

 

 

ここから

会社員生活に終止符を打ち、残りの人生を面白おかしく生きて行こうと決めた日に

想定外の生活を送ることになったわたし。

これからのことをどうするべきか考えないとならないのに、何も考えられない状況に。

ここからゆっくりと試行錯誤しながら考えていきたいと思います。